ドラマのでも、医療ドラマはどれも人気がありますよね。中でも1999年に第1シリーズの放送され、現在までに第5シリーズを数える「救命病棟24時」は、脳死移植や、災害医療、医師不足や救急医療など難しいテーマ描くことで、大人気となりました。そのドラマ「救命病棟24時」が今なら無料で見ることができるのです!そこで今回は、「救命病棟24時」の無料視聴方法や、第2シリーズのキャストや内容について調べてみました!




救命病棟24時第2シリーズ動画全シリーズ無料方法!

救命病棟24時第2シリーズの

動画を無料で見る方法をご紹介します!

それは、フジテレビ運営する動画配信サービス、「フジテレビ・オン・デマンド」から見ることができます。

只今月額888円のプレミアムコースがなんと初回31日間無料トライアルをやってます!!

救命病棟24時第2シリーズは見放題対象作品なので無料で見れるんです!

しかも今なら、病棟24時の第2シリーズだけでなく、第2シリーズから第5シリーズまで全て無料で見ることができます!

さらに!

コードブルーも第1シーズンから第3シリーズ、スペシャルまで見放題なんです!

無料視聴をするには、まずFODプレミアムへ登録をします。

FODプレミアムは通常、月額888円(税抜)の料金が発生しますが、新規登録から31日間のお試し無料期間は実質無料(0円)で視聴することが可能なのです。

31日間以内に解約すれば、FODプレミアムの月額料金は一切かかりません。

しかも!今なら、Yahoo!JAPAN IDを使って、簡単に登録できます!

ただし、このYahoo!JAPAN IDを利用した31日間無料キャンペーンは6月末で終了してしまうので、お早目にお申し込みくださいね!

まずは無料でお試し!フジテレビオンデマンド

救命病棟24時第2シリーズ動画1話あらすじは?

舞台は港北医大救命救急センター。

新設された救命センター内は、その日も一刻を争う急患が運ばれてきていました。

指示された点滴剤を忘れてしまった研修医の矢部淳平(伊藤英明)と太田川奈津(田畑智子)に看護師の桜井ゆき(須藤理彩)は注意を与えながら、初療室に急ぎます。

初療室には、すでに神林千春(小日向文世)、馬場武蔵(宮迫博之)、城島俊(谷原章介)がスタンバイ、医局長の小田切薫(渡辺いっけい)も加わって、迅速に処置を行います。

そこに、また急患受け入れ要請が入ります。

8mの高さから転落したという男性がヘリコプターで搬送されてきますが、その患者に施されていた応急処置をみて医局長の小田切は驚きます。

一方、看護師のゆきは、患者と一緒に救命センターに降り立った男性をみて驚きます。

その男性は、かつて同じ職場で働き、名医と言われていた進藤一(江口洋介)だったのです。

その頃、港北医大・外科第一の研究室で、香坂たまき(松雪泰子)は、第一外科から救命センターへの異動を言い渡され、不本意ながらも、救命センターに移ってきます。

一日切れ間の無い生活、オフィスに寝起きし、ジャンクなもので食事を終えている救命センターの現場に、たまきは今までの医者の世界との違いに愕然とします。

そのさ中、また急患が運ばれてきます。

たまきも初療室に入りますが、咄嗟のことで処置ができずにいました。

救命センターの仲間も心配そうな面持ちに。

廊下で様子を見ていた進藤に、たまきは助けを請います。

最初、進藤は部外者だと治療を断りますが、患者の家族にも懇願されたことから、進藤は手伝うことに。

進藤の適切な処置のおかげで、その急患は一命をとりとめます。

この一件で、医局長の小田切は進藤に、形骸化しつつある救命センターを軌道に乗せるために力を貸してほしい、救命センターに来て欲しいと頼みます。

しかし、進藤は、今は医者を辞めているというのでした…。

救命病棟24時第2シリーズキャストは?

救命病棟24時第2シリーズのキャストをご紹介します!

進藤一生(江口洋介)

 
ドラマ「救命病棟24時」シリーズに、欠くことのできない人物です。

救命においては超一流の腕をもつ天才外科医で、第1シリーズでは、植物状態の妻が目覚めることを祈りながら、また自身も脳腫瘍という病魔と闘いながらも、日々医師としてその手腕を振るい、研修医・小島楓(松嶋菜々子)の指導医として都立第三病院救命救急センターで活躍していました。

第2シリーズでは、植物状態だった妻が亡くなったことで外科医を辞めていた進藤ですが、たまたま遭遇した事故の患者に処置をし、搬送に同行した先の港北医大救命救急センターで、医局長・小田切(渡辺いっけい)に同センターで働かないかと誘われ、港北医大救命救急センターで現場復帰することになります。

江口洋介
18歳ごろからオーディションを受け、1986年のドラマ「早春物語 私、大人になります」で俳優デビューします。翌年、には映画「湘南爆走族」の主人公・江口洋助役に抜擢されて一躍有名となります。プライベートでは、1999年に歌手の森高千里と結婚、1男1女の父親でもあります。

桜井ゆき(須藤理彩)

第1シリーズでは都立第3病院救命救急センター看護師、第2シリーズでは、港北医大救命救急センター看護師として、進藤、小島の主要キャストに続いて、複数のシリーズで登場します。

第2シリーズでは、前作の新人時代から一人前の看護師として成長し、他と衝突する進藤の良き理解者として、また他医師とも交流をもって現場を支えます。

須藤理彩
デビューのきっかけは、姉が応募したアミューズの「100時間オーディション」。

このオーディションに合格し、1995年から芸能活動を開始します。

1998年にはNHK朝の連続テレビ小説「天うらら」でドラマ初主演を果たし、その後もテレビドラマ、映画、CM、舞台だけでなくバラエティ番組などにも出演、多彩に活躍されています。

山城紗江子(木村多江)

第2シリーズでは港北医大救命救急センター看護師、第4シリーズでは海南医大高度救命救急センター看護師と、複数のシリーズに登場します。

救急認定看護師の資格を持つなど、看護師としてはとても優秀で、進藤をはじめ他スタッフからの信頼が厚い人物です。

木村多江
大学在学中から舞台女優として活動し、その後も多くの作品に出演。

2008年の初主演映画「ぐるりのこと。」では日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞を受賞しました。

また、2010年にはCNNが選ぶ「まだ世界的に名前は売れていないが、演技力のある日本の俳優7人」の一人に名前が挙がりました。

2017年10月5日放送開始の「ブラックリベンジ」では初の民放連続ドラマの主演を果たしました。

香坂たまき(松雪泰子)

心臓外科医。

港北医大第一外科から新設された港北医大救命救急センターに出向してきたのですが、本人としては不本意な異動だったため、当初は救命で浮いた存在でいました。

進藤との衝突も多くありましたが、進藤の考えや医療に対する実直な姿勢に次第に心惹かれ、自身も救命医として高い能力を発揮していきます。

松雪泰子
1989年に「第1回メンズノンノ・ガールフレンド」に選出され、モデル活動を開始。

高校卒業と同時に上京し、本格的に芸能活動を開始します。女優デビューは1991年のテレビドラマ「熱血!新入社員宣言」。

その後、1993年の主演テレビドラマ「白鳥麗子でございます!」などで好演し、女優業でも注目されます。

主な主演作品の映画「フラガール(2006年)」では、日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞しています。

小田切薫(渡辺いっけい)

港北医大救命救急センター医局長。進藤を港北医大救命救急センターでの現場復帰を進言した張本人です。

救命をチームとしてまとめた功労者で、自身も医師として非常に優秀です。

現場と大学側(教授)との間に入り、まさに中間管理職的な辛い立場に立たされています。

第2シリーズ終盤で、くも膜下出血で倒れ脳死判定を受け、臓器移植のドナーとなります。

渡辺いっけい
1983年に大阪芸術大学の学生劇団だった劇団☆新感線に参し、大学卒業と同時に上京、状況劇団に入団します。

1992年に放送されたNHK朝の連続テレビ小説「ひらり」で医師・安藤竜太役を演じ、大好評を得ました。

その後、多くの作品に出演、テレビドラマで観ない日がないほど、連続ドラマに多く出演されています。

神林千春(小日向文世)

港北医大救命救急センター医師、専門は外科。

温厚で人当りがよい性格。元々は開業医でしたが、潰れてしまったため、救命センターに勤務しています。

多額の借金があるため、救命での勤務の他、エッセイの執筆や、他病院の当直アルバイトをしています。

医師のゲン担ぎとして、患者が亡くなったときに着用していたマスクを供養しています。

小日向文世
北海道出身。高校卒業後、グラフィックデザイナーを目指し上京するも、怪我で挫折。

その後、写真の専門学校に通うも、結局22歳で俳優を目指すことを決意します。23歳で串田和美が主宰する「オンシアター自由劇場」に入団、1996年の解散まで19年間在籍しました。

ブレイクのきっかけは、2001年の木村拓哉さん主演のテレビドラマ「HERO」へのレギュラー出演。

これを機に仕事が切れることがなくなり、現在ではドラマ、映画、舞台に大活躍されています。

馬場武蔵(宮迫博之)

港北医大救命救急センター医師、専門は整形外科。

元々は青年海外協力隊でおアフリカで医師として活動していました。

性格は惚れやすく、失恋(?)も多く、いつも看護師・桜井に慰められています。

医師のゲン担ぎとして、患者が亡くなるまで同じ靴下を履き続けています。

宮迫博之
お笑いコンビ・雨上がり決死隊のボケ担当、相方は蛍原徹。

お笑いタレントの他、司会者、声優、俳優としても活躍。俳優の仕事に興味があり、演技の勉強のためにお笑いをやっていたと本人が告白しています。

テレビドラマ、映画の他、舞台でも活躍しており、舞台「空中ブランコ」(2008年)では主演を務めています。

城島俊(谷原章介)

救命救急センターの医師、専門は外科。

普段はクールですが、とても努力家な一面も持ち合わせています。

看護師の山城と付き合っています。かつて臓器移植ができなくて子供の患者を救えなかった経験から移植医を目指しています。

また、自身が担当した亡くなった子供の写真を持ち続け、命日にはその家族あてに手紙を送っています。

谷原章介
1992年「メンズノンノ」に専属モデルとなり、2年間勤めあげます。

その後、1995年、23歳の時に映画「花より男子」で道明寺司役として俳優デビュー、同年「未成年」でテレビドラマデビューも果たします。

現在は俳優業のほか、朝日放送・テレビ朝日系のクイズ番組「パネルクイズ アタック25」の第3代総合司会者を務めるなど、多方面に活躍されています。

矢部淳平(伊藤英明)

港北医大救命救急センターの研修医、指導医は進藤。

担当した女性患者の心電図を見落とし、心臓疾患を貧血発作と誤診します。そのフォローをした香坂に医療ミスの疑いがかかったことや、進藤からの厳しい指摘に耐えかねて、一時病院を飛び出します。

戻ったときには、自身を信じて待っていてくれた医局長・小田切が心停止した後で、そのショックと喪失感から小児科に異動を申し出ます。

最終的には、進藤の熱い想いに感銘し、救命に戻ります。

伊藤英明
1993年、第6回「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」準グランプリを受賞し、翌年CM出演で芸能界デビューします。

代表的な作品に「海猿」シリーズにがあり、撮影期間も含めると、このシリーズに10年に渡り関わっていたことになります。

また、演技の幅を広げるきっかけとなった映画「悪の教典(2012年)」では、残忍極まりない殺人鬼を演じ、大きな話題になりました。

太田川奈津(田畑智子)

港北医大救命救急センターの研修医。指導医は神林。

実家は京都で大病院を営んでいます。仕事にも真面目ですが、患者に感情移入する傾向があります。

矢部とは年齢が近いこともあり、愚痴を言いあう仲。

田畑智子
芸能界デビューは12歳。

1992年公開の映画「お引越し」の主演女優として映画デビューし、新人賞を多数受賞しました。

2000年には、NHK朝の連続テレビ小説「私の青空」でヒロインに抜擢されます。

プライベートでは俳優の岡田義徳さんと2018年1月1日に結婚されています。

神宮恭一(津嘉山正種)

港北医大第一外科教授。

学長選を有利に運ぶために、港北医大の救命センターを看板事業として設立しましたが、赤字続きだったため、事あるごとに医局長の小田に赤字を削減するようにとプレッシャーをかけます。

金銭事情より患者の命を優先する進藤らと真っ向から対立します。

津嘉山正種
沖縄県那覇市出身。

琉球放送に勤務する傍ら、地元の劇団創造で活動していましたが、上司の薦めで上京し1964年に劇団青年座に入団します。

途中体調不良や、病気などで度々休養を余儀なくされますが、その度に舞台に復活、現在は青年座の「座友」として活動しています。

大貫佐智(田根楽子)

港北医大救命救急センターの看護師長で医局長の1番の理解者。

医局長が倒れた際は、第一発見者となります。

また、桜井が患者に肩入れしすぎた時には、「患者に思い入れすぎると長続きしない」と忠告しました。

田根楽子
1946年生まれ、石川県出身。

20歳で上京、劇団三十人貝の研究所に合格し、女優となります。

主な出演作品に「救命病棟24時」の他、「浅草ふくまる旅館」などがあります。

賀茂みどり(唐木恵子)

港北医大救命救急センターの看護師。

唐木恵子
東京大学卒業後、一旦は出版社に勤めますが役者を目指して退社。

数多くのオーディションを受けていましたが、そのうちの1つ「進ぬ!電波少年」の企画シリーズ「電波少年的東大一直線」に合格、お笑い芸人坂本ちゃんの「家庭教師・ケイコ先生」として人気者になりました。

現在は、浪曲師「春野恵子」として活躍、公益社団法人浪曲親友協会理事を務めています。

北村圭二(宇崎慧)

心臓外科医で香坂の元恋人。

宇崎慧
俳優で、ファッションモデル。現在はモデルとして、本名の津端清司の名で活動しています。

秋山正幸(小林すすむ)

神宮恭一の助手。

小林すすむ
1972年の「飛び出せ!青春」で芸能界デビュー。

1979年に島崎俊郎さん、川上泰生さん、とともにお笑いトリオ・ヒップアップを結成し、1980年代に人気を博しました。

1990年代以降、「踊る大捜査線」シリーズに出演するなど、俳優活動にも活躍の場を広げます。

2012年にスキルス性胃がんと肝硬変のため死去されました。